三島由紀夫の「豊饒の海」第3巻「暁の寺」で出てくる本田のインド旅行の話の内容を詳しく知りたいために、ヒンドュー教の勉強をしなければと思い、買ってきた本である。それは、この小説全体のモチーフともなっている輪廻転生の意味を探るという意味もあった。
読みはじめの動機はそうなのだが、読んでみると、この本はこの本でやはり独自の読み応えがあり、ヒンドュー教と日本の思想との関係の深さに改めて驚かされる。
身近な例で言えば、日本の弁天様がヒンドューのサラスバティーという女神であったり、大黒様がシバ神の化身であるマハーカーラであったり、普段、ヒンドュー教とは何の縁もないと思っていた自分としては意外であった。
特に、ヒンドュー教の輪廻転生という思想が、仏教を通じて、日本の思想に深く浸透していることに…具体的には、平家物語や徒然草、近松の劇作など、この世の無常と来世に対する期待などの心持に表される…に改めて驚かされるとともに、もしかすると、現在でも我々の日常の感情の目に見えないところで精神の基底を形作っているかもしれないという思いがある。
輪廻転生(サンサーラ)とは、生と死のすべてを自然な大きなめぐりと観じ、霊魂は肉体の死後も生き続け、天界の楽土に赴き、祖霊たちと再会した後、やがて再びこの世に生まれ変わるという思想であり、人々は、この考えを業(カルマ)の思想と結び付け、現世での善行、悪行がその結果として来世での幸不幸につながるという倫理観を形成してきたというものである。そしてまた、この輪廻から脱するためには、悟り(解脱)を開いて、最終的に永遠の魂の安住の地に至ろうとする思想である。
また、ヒンドュー教は、カースト制度などに象徴されるように、運命論的な色彩を持ち、停滞的で退嬰的な思想として捉えられがちであるが、実のところ統一的な戒律や教義といったものはなく、現世利益主義から来世待望の苦行主義までを幅広く包含する融通性のある思想でもある。
読んでみて、日本文化の奥底にこうしたヒンドューの思想が深く入り込んでいて、三島が豊饒の海の第3部で取り上げた理由もなんとなく解る気がするのだ。日本の土着の思想の中に潜み、かつ、日本文化の基底に存する輪廻思想と性的エネルギーみたいなものを主人公であるジンジャン姫の中に見るのだ。
それから、これは余分なことだが、先ごろ地下鉄サリン事件を起こしたオーム真理教も、このヒンドュー教の流れを汲んでおり、いかにヒンドュー教が日本人の思想とシンクロする可能性が高いかを示しているように思うし、輪廻の思想みたいなものを曲解すれば、来世のためには殺してあげた方が良いとする危険な思想も紡ぎだすことは心に留めておく必要があると思う。
まっ、とにかく、わかりやすく、たいへん面白く読ませてもらった本である。