百人一首というのは馴染みがあるようでいて、じゃー詳しく知っているかというと、そうでもないというのが一般的なのだと思う。(もっともカルタ取りをやってた人は詳しいのかもしれない・・・。)私にとっても、百人一首はこれまで馴染みが薄かったのだが、近頃、奈良・平安の王朝文化への興味が高じてきたので、改めて解説本などを読んでみようという気になって読んだ。
本書では、その一首一首について口語訳をつけてくれているのだが、教科書的な意味での古語の解説や文法的なものを省いてくれてあるので、ストレートに歌の趣が感じられて、素人的には大変読みやすかった。
もっとも著者が意図した西洋詩との比較や思い切った意訳は、なんだか無理が多いようにも感じられ、成功しているのかどうかわからない。少なくとも私にとっては余分に感じられた。
「小倉百人一首」という王朝詩のアンソロジーは、最初の天智天皇の豊饒と恋を重ね合わせた、牧歌的で明るい雰囲気が漂う歌から始まり、恋の歌を中心にピックアップされていて、最後は順徳院の宮廷を懐かしむ悲しくノスタルジックな歌で終わるのだが、7世紀から13世紀まで続いた王朝時代の文化を総括し、それを葬送するために藤原定家が編んだものだという著者の指摘には納得させられた。
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ (天智天皇)
武士の時代を迎え、これまでの王朝の統治原理である神と人々が豊饒と恋とで結びついた宗教性(精神性)が壊れ、武力というより現実的で人間的なものに転換していく時代にあって、それまでの文化を和歌として残しておかねばという時代精神を定家は持っていたように思う。
ももしきや 古き軒端の しのぶにも 猶あまりある 昔なりけり (順徳院)
この順徳院の歌、宮廷の軒の端に生える忍草を見るにつけ、思い出あふれる輝かしい昔が偲ばれることだいう意味なのだが、歌としては平板で技巧的で良いとは思えぬが、定家によって百人一首の最後に飾られたために、歴史の重みが加わって味わい深いものと感じられる。