「手掘り日本史」には、時代時代を特徴づける司馬の示唆があちこちに散りばめられている。南北朝の時代についても「つまらぬ時代」として表現されているのを見て、なるほどと思わず頷いてしまった。
かねてから、南北朝の時代を胡散臭く感じていて、後醍醐天皇やら楠木正成、新田義貞、足利尊氏などは、社会の安寧など眼中になく、庶民を無視した私闘を繰り返したにすぎないのではと思っていたが、はからずも、司馬の視点も同様であった。
司馬は、南北朝時代を、役者がそろつたドラマチックな時代のように見えるが、実際には、およそつまらない時代だとしている。後醍醐天皇は建武の中興などという訳のわからぬ古代政治を復活させようとして低脳政権を作り、そんな箍がはずれた社会の中で相続争いをする地侍に対して足利尊氏はその本領を安堵するという行為を通じて南朝に対立しているが、抗争はあくまで、相続争い、利権争いの私闘にすぎないとしている。
それを、江戸時代の水戸史観に基づいた明治以降の教育により、南朝が極端に美化されたために、歴史が歪められて伝えられたのだとしている。
一見、美しい歴史と感じられるものも、実のところ、社会的混乱期に生じた馬鹿げた歴史であるということもあるのだと肝に銘じておく必要がある。