アフリカについて知りたいと思っていたが、今回、本屋でこの本を偶然見つけたので読んでみた。専門書はともかく、アフリカについて書いた本など余りないように思う。それだけ関心が薄いということなのだろうし、日本人の視野にアフリカが入っていないということなのだろうと思う。
もちろん、日本からのODAが投入されていることや、国連常任理事国入りの問題でアフリカ諸国へ働きかけたことなどの話題はあるものの、やっぱり、アフリカは日本人にとって関心の薄い国であることには変わりがない。
この本を読んでみて、アフリカにとっての近代化とは何だったのか改めて考えさせられたし、ヨーロッパの資本主義の発達にとってのアフリカの位置・役割というものについても考えさせられた。
この本を執筆した人々は、西洋的な意味での近代化ではなく、アフリカ独自の発展の仕方があるはずだという意図で書いているが、それが何なのかは示し得ていないように思う。独自の文化、独自の統治形態を志向すべきとしているが、グローバリズムの巨大な渦の中で、アフリカは相変わらず木の葉のごとく不安定に揺れ動いているばかりだ。
それはともかく、今は、この本から知りえた事実のみ記しておこうと思う。いずれ、アフリカそのものやアフリカと日本の関係性について触れる機会もあるだろうから、そのときの材料として書き留めておく。
まず、奴隷貿易についてである。アフリカにおける本格的な奴隷貿易は16世紀から始まり19世紀半ばまで続いたという事実は忘れてはならないだろう。植民地での労働力不足を補うため、アフリカから大量の奴隷がアメリカやアジアへ送られたことはヨーロッパ資本主義の内実を知る上で見過ごすことができない。それは単なる経済関係としてだけでなく、資本主義を支えたイデオロギーの欺瞞という意味でも検討される必要があるのだと思う。
同じく、ヨーロッパ諸国のアフリカの領土分割にも注目する必要があるだろう。20世紀にまで及ぶ侵略と支配のために、少なく見積もっても数百万人の殺戮をしてきた事実を忘れては今のヨーロッパを語れないだろうし、自由主義社会の持つ残虐性に目をつぶることになると思う。
一方で、アフリカ自体をどう考えるかということにも関心を持つ必要がある。アフリカの自然は苛酷であり、その全てが発展すべきと考えるのは愚かしいことだろうし、その自生的な発展を促すための間接的な支援を行っていくことが肝要ではないか。アフリカ内部には、カナダのイヌイットのように自然との直接的な交渉の中で生きていく民族もあるだろうし、地域の資源や特性を活かして近代化を図り、豊かさを求める地域もあるだろう。それを一律に論じては何もまとまらないように思う。
ただ、何千万人の飢えた人々が存在するからといって、人道的な立場から食料をはじめとする物的な支援を慢性的に行うことは、ほんとうの意味での支援となっているのか考える必要がある。アフリカの人々の主体性を失わせている結果を招いていないのだろうか。
いろいろな疑問が湧き出るばかりで今の段階では結論めいた話はできない。今後、また触れる機会があるだろうと思うので、今日はここで筆を置く。